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とはいえそこはConte、書きたいとこだけ書いてるので、まとまりは最小限にしかない不親切設計です。
ネタ的にはもっと書きたいものが随所にあるので、別の形で書けたらいいな。
それにしてもいつもながらタイトルが残念だ・・・。
↓ねたばれ
ムウ自身について仮面の有無を考えると、ラストの『痛い』の定義が分かる又は変わると思います(笑)。
目が覚めてみると、誰も彼もに顔がない。他人からはすこし微笑んで見えるらしい鉄壁の無表情を、これほど有難いと思ったのはもしかすると初めてだったのではないだろうか。少なくとも、みっともなく取り乱して動揺を露わにすることだけは避けられた。
顔がない、というのは些か正しくない。それではまるで子どもの頃に聞いた首なし騎士のようだ。夜更けの森で、心もとない大きさの火に手を炙りながら聞いたその話は、仲間のひんやり訥々とした語り口だけが記憶に残ってあまり詳細は覚えてはいないのだが。それよりも、にこにこしながら弟を含む五人をぐるぐる巻きに縛り上げ、修行と称して完全に日の落ちた森に放り出した射手座の顔の方が今でも忘れられない。
ただ目下の問題は射手座の良い根性ではなく、顔のない世界である。頭がないのではない。ぽっかりと顔がない。いちばん正確に言うなら、この聖域においては女子の顔にのみあって然るべきもの、つまりぱきりと硬い音のしそうな仮面が、一様に鎮座しているのだった。
用事のあるふりを装ってひとりずつ検分しながら上へ行く。乾燥した気候には珍しく、朝靄が出ている。ぼんやりとした乳白色の中に佇む自分の宮を振り返ると、気のせいか今出てきたばかりの出口が見当たらないように思えた。壁がいやに幅をきかせている。吹きさらしの年月に負けて所々崩れかかっているくせに、なんとも生意気だ。
見かけによらず朝の弱い隣人はそっとしておくと、次の宮には半ば以上想像がつく。既に目覚めて暫く経っている様子の主には、鈍色の仮面に代わりご丁寧に幾重にも巻きつけられた鎖、はてはがっちりと口を閉じた南京錠までが付属している。
口許が僅かに覗いているが、そこから出る言葉は空気を閉じ込めた硝子玉である。虹色にかがやき、すいと飛ぶ。本物を見たことはないが、いわゆるしゃぼん玉というやつかも知れない。
そのままでは聞き取ることもできないので、捕まえて割る。意外に力が要るが、ぱりんと砕けると跡形もなく消えた。代わりに声が残る。早いな、という言葉があまりに凡庸で、二秒ほど反芻してやっと意味が通じた。
貴方も、と当たり障りのないことを言って行き過ぎる。奥深くの顔が行き先を察しでもしたように緩んでいるのが分かって腹立たしい。あの鎖を思い切り引いてやったらどんなことになるか、とせめてもの想像で気を落ち着けた。
次も大方見当はついたが、なんとはなしに見てみたくなって覗いてみる。宮内は薄暗く、何故か硫黄のにおいのする岩山に変じていた。見覚えは、あるようなないような。ない方が確実に良いだろうと思ったが、生憎そう昔の話ではない。
予想に反して、死んだ岩山に背を凭せ掛ける男の顔を覆うのは、いかにも恨みがましい死人の面ではなかった。涙のしるしを頬に忍ばせた、白塗りの道化面だ。帰らずの国の道化。笑わせる相手もないというのにご苦労なことではある。
だらしなく手や足を投げ出した姿は、撃たれたふりで弛緩した役者そのものだ。或いは酩酊にも見えたが、これで意外に翌日に残る酒を呑まない男である。単にあれが座り良い姿勢だということなのだろう、信じがたいことに。
わざと目の前を歩いてみる。かるく片手が振られるのが、猫を追う時の仕草のようで気に入らなかった。腹いせに反対側の手を踏みつけて、後は振り返らないで宮を出た。たぶん折れてはいない。
勝手知ったる他人の領域で、巨大な扉はいつも唐突に出現する。もしかしたら位置は一定ではないのかも知れない。
隙間からは靄が溢れている。行き止まりのしるしだ。いったいどういう理屈なのかは知らないが、緑が濃い場所に続く扉であることは確かである。緑と靄の相関については、頷けないでもない。
主は靄の方を見つめるように立っていた。気配に気付くと、滑るように近づいてくる。面倒だな、と思う間もなく至近距離で木の香に似たすこし変わった匂いがする。髪につける香油だという者もいるが、どうにも彼本人から香るような気がしている。
目はもとより閉じているので、奇妙な立ち位置に関しては別に鼻から上を覆う布の所為というわけではなかった。元来、彼は距離のとり方がうまくないのである。やたらと顔が近いのも通常通りで、端正なそのおもてを間近で見るのにもたいした感慨はなくなっていた。
これは初めてやられると大概が赤面する。今は目隠しで見えないが、駱駝のごとき睫の所為かも知れないと思っている。まあ、本当に駱駝だと思っていれば平気なものだ。実際、あまり変わらない。
何事か言おうと口を開けるのを片手で制し、そのままくるりと背を向ける。駱駝の禅問答に付き合うほど暇ではなかった。
その隣の宮に快活な青年の姿はない。おやと思って振り返ると、何時の間にやら入り口へ実に巨大な老爺がどっかりと腰を据えていた。尋常ではないその大きさに、何事かと目を一割増し大きくひらく。だが大きすぎて、すべてが視界におさまらない。こう大きくては、こちらの声など聞こえもせぬのであろう。
どうしたものかと少し近寄ってみたが、寄れば寄るほどその威容はますます目に入る範囲から遠ざかり、どうにもその衣服の襞らしき滝のほかは認識することすら危うい。見覚えのある服の色でなければ、それがかの老爺の後ろ姿と理解することはついになかったかも知れない。
声をかけることは諦めて、一礼して踵を返した。ホッホ、という面白そうな声がして、宮全体がゆるやかに揺れる。この宮のすべてが、彼の肚の中といったわけのようであった。そうとなれば底がないのは知れているので、足元は見ない。
なるほど年を重ねるとはこういうことか、とひどく納得する。この分では、目指す相手はどれほどの大きさだろう。この御仁でこれだ。精神が複雑骨折をしたような彼の人の仮面は、考えるだけでうんざりした。
入るなりばったりと顔を合わせたのには驚いた。ぐいと肩の上に持ち上げられて、足が浮く。ばたつかせる間もなく、前へと推進する。一歩進むごとに体がみしりと音を立てた。背が縮んでいく。執念とは恐ろしいものである、我が身は彼の知る年齢へと戻りつつあるようだ。
このひとも大概諦めが悪い、そう思ってちろりと見た真横にある顔面は、人のそれではない。完全なる羊頭。くびを隠す囚人の輪に似た襟飾りで、からだとの続きがどうなっているかは皆目見当もつかなかった。鬣と見えたのは背中に燃える髪だ。頬に触れて擽ったい。
怖くはなかったが、少しずつみじかくなっていく腕を伸ばしてくびに取りついてみる。うっすらと獣の匂い。獣とて嘘はつくのだ。それも命に関わる嘘を。
かつりかつりと靴音だけが響く。振り向いて見た玉座は見上げるほどに遠く、またも視界を妨げる靄の後ろに薄ぼんやりと佇むばかり。謁見用に調えられた室内を象徴する、赤い毛氈には果てがなかった。順調に退化する。本当に仕方のないひとだ。
「だってどうしようもないじゃないですか」
みしり。まだ、青年で通る。
「私だって、できればそっちの方が良かったですけど」
みし、みしり。髪が時間を遡って収縮する。不思議な眺めだ。毛先が痛んで細い。
「いつまでもそのままなんて、夢見がちすぎてむしろホラーです」
みしみし、ああ機嫌を損ねたか。羊に浮かべられる表情はたかが知れているが、歩く速度が速まった。急に縮むと少し眩暈がする。
目指すその先に、安寧はもしかしたらあるかも知れない。やり直し地点の立て札があればそれはそれなりに嬉しいだろう。そういう妄想なら何回となく経験済みだ。もう一度、もう一度だけ。
だが、やり直す道すがらにあの無表情な仮面が転がっていないと誰が言えるのだ。何万回繰り返しても、同じこと。終わりに行き着く時には、もうすっかりとやり直しの道順だけを考える羊の頭に成り果てる。さらに幾万回。この角の螺旋のように抜け出せない輪を自ら作るより、一時の我慢の方が良くはないか。
「ちょっと痛いのくらい、我慢しますよ?わたし」
ぴたり。足が止まる。
何しろ羊の皮の下とくれば、大抵その正体など決まっているわけだ。