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意味も象徴も付加しないで自動筆記状態で書いたので長いけどこれは確実にConteですね、というわけで下からどうぞ。実はシオンムウです。
タイトル及び題材は東京エスムジカの同名曲からそのまんま。
見渡すかぎりの砂の海だった。
雲もなく風もなく、べったりとただただ青い空が、普通なら遥かに霞む地平線をも目に痛いほどにくっきりと描いている。それは空と地面の境がそう遠くない場所にあるという事を示すのではなく、終わりは確実にあるということだけを突きつけている。どこまで行けば終わりなのか、そもそも辿り着くことが可能なのか、ということまでは教えてはくれないが。
冗談のような獣の白骨でも埋もれてはいないかと首を回してみても、広がるのはひたすら熱い橙色。水はおろか生き物の気配ひとつない、完結した光景に、知らずごくりと唾を飲んだ。もしも世界に果てがあるとしたら、こんな風なのかも知れない。
一歩も進むことは出来なかった。かといってこのまま立ち続けているわけにもいかない。遮るものひとつない太陽の光が、髪や指の先から火をつけて回っているような感じがした。暑さに眩暈がして、瞼を閉じる。無音の世界はそのくらいでは微動だにしなかった。どこまでも、何の比喩もなくただ事実としてどこまでも砂だけが続いている。
その時ふと、柔らかな音が耳を掠めた。なにかの弦が奏でる音だ。何の曲かは分からない、ただ何故かひどく懐かしい気持ちになる。戸棚に入れてそのまま忘れていた古い写真の、あたたかく黄ばんだ記憶に似ている。
目を開けると、何もなかったはずの橙のなかにぽつりと一つ、大きな影が出来ている。
それは駱駝の一頭も入ろうかという、大きなパラソルだった。透かしの入った白い布地がやんわりと陽射しを押しとどめて作られた影の上には、これも白い木のベンチが置かれていた。その隣にある背の高い漆黒の台には、ノズルからボタンの一つまで全てがたった今磨き上げられたような銀色のエスプレッソマシンが載っている。
そしてエスプレッソマシンと同化するように、ひとりのバリスタが立っていた。肘まで捲り上げた白いシャツに、ここからでもよくプレスされた様子がわかるダークカラーのトラウザース。重ねた丈の短い前掛けも黒い。
彼もベンチも台も、全てが砂に隠れることもなくまるで浮いているように軽やかに、そして水平にそこにあった。ふわりと、濃い珈琲の香りがする。
何を考える暇もなく足が前に出ていた。砂を踏む音すらせず、相変わらず黙り込んだままの世界を一歩ずつゆっくりと近づいていく。踏み出すごとに苦みのある深い薫りが強くなった。喉が渇く。距離感がないせいで、パラソルの下までは恐ろしく遠いようにも、すぐ目の前であるようにも思えた。
ベンチの前に立つと、それまで石膏の像のように身動ぎひとつしなかったバリスタがゆるりと笑う。
「いらっしゃいませ。どうぞお掛けください」
してみるとここはやはりカフェか、と思いながら促された通り白いベンチに腰掛けた。二人掛けらしいそこは、しかし陶器の白い植木鉢が一人分の場所を占拠している。露を浴びたように光る緑色の葉を持った草が、真っ直ぐに上に向かって伸びている。太陽が真上に来ていた。
「『世界の涯てのカフェ』へようこそ。当店自慢のエスプレッソをどうぞ」
透き通ったカップに入れられた黒い飲みものが差し出される。肩の後ろで緩く束ねた銀色の髪が揺れ、仄かに香ばしいパンの香りがした。
カップを受け取るのを確認してから、バリスタは植木鉢の陰からこれも透明の覆いをかけた白い皿を取り上げた。皿の中央には石鹸ほどの小さな黒パン。童話のなかで親に捨てられた子どもたちがシュヴァルツヴァルトに撒いたような。覆いを取り除け、ナイフも使わずにバリスタがパンを割く。不思議と綺麗な切り口で、二つに分かれた。
帰り道を知りたい、カップに口もつけずに言うとバリスタは穏やかに頷く。割いたパンの一切れを渡し、もう一切れを優美な動きで口に押しこんだ。白い指を噛みそうになって、慌てて舌を引っ込める。耳元に落ちる声は口のなかに広がったパンのそれよりも尚品良く甘かった。
貴方の後ろを見てください、残してきた轍が見えるでしょう。辿れば直ぐに。どこへだって。ただ、パンを撒くのを忘れないで。
振り返ると確かに、遠く地平線を突き破るようなオリーブの林が見えた。
そこで朝が来た。
隣に体温は既になく、片側だけ開けられたカーテンの向こうから入ってくる光が、いつになく遅い目覚めだと知らせる。窓辺のパキラが眩しかった。上着を羽織って寝室を出ると、キッチンの方からパンの焼ける匂いがしてくる。エスプレッソではないかも知れないが、おそらくカップ一杯のコーヒーがついてくるだろう。
枕元に置いてあった画集とコーヒーメーカーのカタログを脇に抱えて、ゆったりと歩く。橙色の砂漠の絵にため息をついた昨夜のその人は、絵の中の砂漠よりシーツの海の方がいいだろう、と言ってやると一瞬目をしばたたいた後にくすくすと笑っていたのだった。今頃は白いシャツと黒いパンツで忙しく立ち働いている頃だろうか。
朝食をとったら出かけよう。小さな黒いパンを買って、淹れたてのコーヒーを魔法瓶につめて。砂漠までは行けないからどこか近くのオリーブの木陰で、弾けないくせに古いギターを抱えるのもいい。
食べないでパンを撒いたら夢の中のバリスタと同じ顔をした彼がどんな風に怒るのか、興味がある。